次男くん。里帰りしてくれました。と言っても3時間ぐらいです。
桑名の和食屋さんに4500円のお弁当を注文していたので、夫さんと11:30に間に合うように取りに行きました。以前お願いしたときよりも重量感が足りなかったのであれ?っと思いましたが、考えてみればここのところの値上がりすごいですものね。お刺身にしてもらったのが原因かなあと思いつつ、次男くんが気に入ってくれればと。
急ぎ帰宅して待ちましたが、結局13時過ぎにきてくれました。次男なんとバイクでのおなーりー!です。バイクは痛車にしてあるんですが、彼のは親が言うのはなんですが、色合いがすごくシックで派手派手さがなくて、すごく芸術性があるんです💦 そういえば現物見なかったのは失敗したなあ。マンションの駐車場に入れてもらったので夫さんに対応してもらってました。はい。二台目ですが、一台目はズーマーで今回のはホンダカブです。雑誌にも載って、芸能人さんも乗ったというすごい話題になってる?!バイクです。いいですね。こういう趣味があるのは。
で、今回愛媛から東京まで、横断しながら各所でご友人、ご学友さんたちと会うんだって。台風の件があるので、ここから静岡が一番危ないのですが、念じておいたのがきいたのか、だいぶ台風くん、東にそれてくれたみたいなのでほっとしています。
次男くんは元気で、相変わらずわたしには厳しい!のですが、それも私たちの関係かなと。
実は最近夫さんがとってくれたドラマ、NHKの「まんが道」。藤子不二雄さんの話ね。お二人の。あれ一度はみたんですが、結構好きで。刺繍しながらついつい見てしまうのですが、満賀くんの方のお母さんがね。冨士真奈美さんで、2人の男の子のお母さんしてるんですが、すごく子育てが上手だなあって。ご主人さまが早逝しているということもあるけれど、息子2人ともね。頑張り屋さん。次男くんなんてお兄ちゃん応援団で、お母さんとお食事の手伝いもして。時々お母さんに新聞で紙風船作って耳元でパーん!って割ったりしてお母さんびっくりさせたりするんだけど。おにいちゃんがお母さんに叱りつけたりしてもね。優しくかばってあげたりね。一方でお兄ちゃんの方も社会人になって立山新聞に通っていたら、お母さんにどなりつけたことを反省させられる?シーンとかもあるんだけど、概してお母さんに厳しく当たることも多い。
そんな2人の息子にお母さんの対応が、素晴らしくてね。お兄ちゃんの机を勝手に整理したら、怒られたんだけど、
いかんねえ。この手は。オフリミット!
とかいいながら自分の手の甲をパンとたたくのね。お母さん、ほんまだめやね。とかいいながら。
以前どこかの番組で、お猿さんの話し、アニマルプラネットだったかなあ。お猿さんのお母さんの話しなんだけど、お母さんとして才能あるお母さんと、まったく子育てがダメなお母さん猿がいると。上手なお母さん猿はその下手な育児放棄してしまうお母さん猿の代わりに子育てしてあげてるとか、そういう番組だったのですが、私は育児放棄まではいかないし、自分なりにはちゃんと育てたつもりなんだけど、天才のお母さんとしてのセンスが欠けてるなあと感じてるので、冨士真奈美役のお母さんをみていると、しみじみとこんなお母さんだったらよかったな。でもお母さん、やっぱりどこか息子2人との生活は寂しいところもあるんじゃないかな。
もう1人の才賀くん?のお母さんは天地総子なんだけど、これまたシングルマザーで、子育てでの相談を冨士真奈美としてるんだけど、ふたりとも男の子の親として、できた人たちだなあってね。
以前見た時はこんなふうな見方はしていなかったのですが、今は、お母さんとしての自分に評価をつけたがっているのかよくわからないけど、子育てというものを振り返られるドラマは引き込まれます。
同様に、今夫さんとみているのがやはりNHKの、
です。もうこれ田辺聖子さんというお人柄、夫婦関係としては私たち夫婦もこんなふうでなんでも話しする夫婦なんですが、この夫婦特に田辺聖子さんには明確な意志、人権!?に対してとても深い愛情と先見の明というか、何に対しても理解があるのです。実の子供ではないのに五人も一緒に過ごしてね。まずは、後妻なのに、旦那さんの子供には、おばちゃんという存在にする。いうに、
私らは夫婦やけどあんたらにとっては知らないおばちゃんやからね。それでええよ。
みたいなスタンスなんだけど、これって深い!子供たちに対しても、また先妻さんに対しても敬意を感じてしまう。
そしていつもお食事を沢山用意していてね。あー。ほんと偉いなあって。
恥ずかしながら私は田辺聖子さんの本読んだことないけどきっと読後はどこか清々しい気持ちになるものを書いていらっしゃるのではないかと想像してしまう。とにかく人として母として妻として。尊敬ばかりです。
そんなふうな人でありたかったけど、最近強く思うのはそれは私1人の努力だけではできないなと。
私は自分が育った環境を嘆くわけではありません。ちゃんと大学まで出してもらったし、父は京大、母は学歴は女学校卒だけど新聞記者もやっていた人で、家族として自慢の両親でした。父はとてもハンサムで、小学生のときは同級生に
ピーターちゃんのお父さんってハンサムやね。
といわれておもはゆかった覚えがあります。嬉しかったです。
父は子供好きでどちらかといえば愛情深い人だったのですが、それが災いしてか、高校生の時の恋人、ストイックな恋人との関係が再燃してしまったのです。母と結婚したあとにね。
これが全てのきっかけ、、、と思いつつ、いやこれはこのときからではないなと。実は母は父よりも7歳も年上で。当時としては珍しいできちゃった婚。母はいわゆるオールドミスになっていて、父方の家には相当な反対をされたようです。なので結婚式は正式にはあげてなかったのです。励ます会みたいなのは周りの方にやってもらったようです。今ある京都オークラホテルの敷地に昔建っていた京都ホテルで。
父との母の出会いは、京都の母方のお墓参りを通してです。京大のボート部、昔は端艇部といったのですが、父は中学、高校と6年間の経験者でもあり全国大会にも出て活躍していたので鳴り物入りで入部し、留年までして5年間オリンピック目指して漕いでいました。その間、高校時代から交際していたJさんという方とはボートの方を取るか私を取るかどっちかにして!みたいなことを言われたらしく別れてしまったとか。
その後、ボート部の艇庫の近くに通っていたお家があったらしく、その仲良しになったおばさんが、私の祖母の妹さんちいばあちゃんだったみたい。ちいばあちゃんは遠縁にあたるY川さんという郵便局をやっていた方のところに通っていたみたい。その姪っ子に美人姉妹がおり当時
芦屋小町
と言われていたらしい?母の美人いとこさん(女優の岸恵子さんに似てる!)とデートしたらしいのですが、父によると体力のない人で、ちょっと歩き回るともうだめとかだったらしく、それはちょっと、とやめたそうです。
それから、京都の黒谷にあるお墓参りにちいばあちゃんが、今年は行けそうにないと言っていたのをきいて、それならば僕が代わりに行ってきましょうと。その話を姪である母が叔母のちいばあちゃんから聞いて、
そんなに殊勝な人が今どきいるのなら、お礼におごらないと!
と思い、新聞社にきてもらい、一緒にご飯を食べに行ったのが最初と。
このとき母は学芸部におり、老舗の食べ物屋さんに精通していて、うんとご馳走したらしく、のちのち父は私たちに
おれはあの時欠食児童で食い物にやられた!
と説明をしました。これは子供にはあまりいい印象ではなかったけど。。
で、できちゃった婚。
でもね。
母は7歳も年上だったうえに、シングルマザーで育てられていたので、父は母の生い立ちを知って見捨てることはできなかったのだろうし、このスタンスだけは最後まで守ってはくれた。
けれど、結局は好きな人がおり、その人とのことを子供にも妻にも誤魔化しながら生きてきたのと、妻に対する本音で言えない部分がかなりあって、不満とかそういうものより、自分の行動に対する義務感と正義感で母を守ろうとしたのかなと。最後まで離婚もせずに喧嘩しながらも子供も母も捨てなかったのは、私は父の純真な心があったからだとおもってます。ただそれが母と私たちだけに行かなかった。そしてその板挟みを、ただの誤魔化しにしてしまったのが、よくなかった。
良くなかったというのは、子供たちに悪い影響を残したということです。
私は大学生のときにバイトで知り合った人とこうさいしていたのですが、その人のことを父が気に入らなかったのです。それでかなり険悪な状態になっていったのですが、基本ははっきりと真実を言い合えない父と娘が、口喧嘩になっても、
パパだってこうしてきたやん!
俺のことは言うな!
みたいな意味不明なゾーンに入り込み、娘はそこで口を塞がれてしまい、ますます憎しみのようなものが生まれて父の思う方向とは違うところに進んでしまう。
話はそれますが、眞子さんを見てるとすごくわかるのです。あの態度を娘がとるのは明らかに家庭内に問題があるのです。秋篠宮ご夫妻の関係が彼女を通して明らかに浮き上がってくる問題点がわたしにはすぐにわかりました。
要するに父親が権限をふりかざして、妻や子供の言論を封じると、娘はもう何も判断できない状態になり、目の前にいる優しくしてくれる味方だけを頼りとしてしまう。大きなところで守ってくれる存在を活用する方法がわからないんです。父や母が子供へ、自分の妻を愛するように、君たちも大事なのだよと、腕を広げて笑っていてくれている状態ね。
遠回りしましたが、田辺聖子さんの父親ってまさにそうで。
こういう夫婦は連綿とその愛情を受け継いでいけるのだとね。
大学生のとき私の人生における一つのテーマは
愛とは何か?
ということで、あまり本も読まないひとでしたが、それなりに本も読んでいました。その中で、医師である松田道雄さんの
恋愛なんかやめておけ
という子供向けの本があり、たまたま他の本からそこにたどり着き読んでうわー!っとなりました。先生曰く
恋と愛とは違うものである
恋は思春期独特の心臓の鼓動の高まりであり、ぼーっと人を好きになることは一時的なものである
しかし愛は積み重ねていくものそのである。結婚は愛である。
といった主旨なのです。
私の人生のバイブルはこれになりました。積み重ねていける相手こそ結婚して続けていける相手だとね。
色々あって、今の夫さんとお見合いっぼく出会ったとき、まずそのなんでも話ができるという自由さ、人の話を汲み取って自分がその時に思った素直な感想を教えてくれる。などよどみのない話し方をきいて、溜飲が下がるというか、なるほどと思いました。そして、結婚する最後の決め手はお父さんとお母さんが仲良しである。ということでした。それは遺伝というか伝染していくものだと思っていたので。義父母は仲良しでしたが、なにより子育てでは一致協力していた。まあのちのちは色々思うこともありましたがこのことは尊敬できる義父母でありましたし、それが故の夫さんの気性でもあるんだなと。
長くなりましたが、
ドラマを見ていて、仲の良いお父さんお母さんのありきたりの生活ってほんと地味ではあるものの、そこで起こる問題って、実は非常に邪魔なもののない大事な部分を解決していける環境があるんですね。それがドラマで伝わってくるとね。すばらしいなあって思うんです。
私の実家の場合、例えば結婚とかになっても、エッセンスよりも、端々の問題点にすぐに話しやパワーが持って行かれてしまう。もう不毛な世界で満たされてしまい、本質であるところの、地道に積み上げていく幸福である若い人の結婚があしげにされてしまうわけです。そして不幸にもその、自分目線だけの考え方、次の世代に対しての人権のようなものが阻害されてることを、本人は気づかない。結構それは、結局はわがままを通しているんだなあとも思ったりするのです。
私は足を引っ張り合う中で育った人間なのでどうしてもその影を追っ払って生きていかないといけない。夫の生活感とかはすごくシンプルで退屈ではありますが、子育てという魅力にとりつかれたのと駐在という特殊な環境で、私ももみにもまれたように思います。夫との生活は積み上げていけるものがどんどんできた一方で、子供たちと真正面に向き合った時、経験不足もあり、自分の不器用な面もあり、時には専制的なものになってしまったり、田辺聖子先生曰くの、
そんなん人権ないやーーん!
みたいなことをしでかしてたなあと、うまくらいかない❓と首を傾げたくなる子供からの反抗もずっとどうしてできていないんだろうとね。
つまりは、次男との関係って、自分の人生の具現化みたいなもので。
私なりに家庭環境を、夫や子供との会話はフランクにと、それがまず大切なこととなんでも話せる関係性を求めてきたけど、子供との関係にはそこに、もっと大切な何か、自分にはしてあげられなかったエッセンス。それをもっと若いときにわかっている人間でなかったがゆえの確執なようにも思えます。
でも、人として大切なこと、とにかく不倫だの浮気だのとそんな煩わしい人生には邪魔になることなどは、不要に生きなければならないという、ちょっと無理して頑張っている私はその次の世代つまりは息子の世代。そしてその次の世代も引き継がれていけば、生まれてきた子が、まっすぐにやらなければならないことを悩み、応援してくれる人の存在を無意識に理解できる人が自然に振る舞えるようになれるんではないか?と。青春時代に暗くなる気持ちを持たざるを得なかった自分にできる精一杯のことは不束ながらしてこれたんじゃないかなと。できればそんな夫婦愛を持って家庭を築いていける子孫が続いてくれればなあと。ちっぽけだけど大切なことをちょっとは成し遂げられたのではと褒めてあげる自分がいてもいいかなと。
長くなりましたが、次男と少し会話して、今はわかってもらえなくても、私はそのようにあなたの母として悩ましく思ってきたのだといつか理解してもらえたらなあ。と。
ご飯のあと少し休んでお風呂に入ってすぐに台風に向かってバイクに乗って次男は風と共に去りぬです。
台風を念で追い出しながら、次男の発言などを聞いて自分の発言、次男の発言を読み取り瞬時に出る言葉がやはり次男の気に入らないことだったりなんだなあと思いながら、事故だけはきをつけてね。無理だけはしないでねと、また次男に怒られそうなことばり願っていた私なのでした。