ピーターパンの何でも日記 Part2

家族と友人に近況を伝える日記

本家に行ってきました。

昨日から夫さん、ワクチンで元気ないので、私が一人で本家に行ってきました。

まずはカインズにいき、お線香とライターを買いました。あるかどうかわからないので。ガソリンを満タンにしておきました。こちらは安いですよ!ハイオクで167円!助かります!

それから本家に入り、仏壇の下の棚をゴソゴソ。このなかを徹底して綺麗にしないとなあ。と思いながらお線香もあるなあ、お線香立てはどれかなあと思案していたら、突然玄関から、すみませーん。の声。あら?郵便屋さんかなあと思ったら、ご近所の方でした。💦

 

今回、夫さんの弟くんの最大限のコロナ対策で、身内だけの葬儀、しかも親戚でさえみんな呼ばない、食事は持ち帰りの弁当、唯一の火葬場でのお弁当も部屋を分けるという💦 それなので本家のご近所さん、自治会さんなどお呼び出来なかったのです。それでお世話になったからと、お香典、個人からとあと会社からもということで。

少しお話をさせていただいたんですが、びっくりしたのが、最後にお参りだけと、仏壇まできてくださり、手を合わせてくださった。そしたら、

 

うちは小作だったので、このお家にあげてもらうことは決して無かった。初めてあげていただきましたわ。

 

みたいなことおっしゃったので

 

いえいえ、もうそんな時代は昔になりましたのでこれからはどうぞ気軽にお越しください。

 

的に申し上げておきました。こんな世の中になってるのに昔の身分の違いをおっしゃるなんて。嫌なことでもあったのかなあ。と。少し時代を感じました。

 

夫さんによると、夫さんが子供のときは、明確な区別があり、自分は〇〇の坊ちゃんと言われていたから、その方はその名残を知っている最後の世代で、あなたは貴重な体験をした。と言われました。ふむ。こう言ってはなんですが、やはりここはかなり田舎なんだなあ。って思いました。でも、千葉にいるときも、実はテニスのパートナーだった方が地元の名士でお金持ちで。その人のことを幼稚園の知り合いですら結婚の経緯とか知っていてね。友達でもないのに。びっくりしたものです。まあうちは金持ちじゃないけど。

 

このあたりの住所、昔は 屋敷

という言葉がついていたんですね。当然屋敷というのは本家のことであろうと。ボロ屋敷は150年近く前に建てられたものと推測されます。昔はこのあたりの山林王の諸戸(もろと)家の土地であったので、諸戸家が建てたのかもしれません。それを土地と共に買い上げた。それで住所も屋敷。たぶんその当時は周りにはなにもなく、ぽつんと一軒だけ、屋敷があったんだろうな。本家の庭には、実はお稲荷さんがあり、お稲荷さん自体は雨風を避けるために母家の二階に飾っているのです。祠あとと思われる小さな小さな段差と少しの石垣が庭にあります。今回庭は石庭にしましたが、その祠跡は触らずにいます。私的には築山みたいで好きです。早く庭ももう少し綺麗に整えたいのですが、まだ49日も終わってませんのでいじれません。お稲荷さんなのでご商売していた方の土地、つまり諸戸家の土地と推測。これは夫さんが生きているうちに調べたいと言ってます。

なので私がお嫁にきたとき、しばらくして、このおうちの歴史をヒシヒシと感じたものです。実際には、藩士、貧乏武士、八石二人扶持(ぶち)という足軽よりは上程度の身分なんですが、明治の封建的身分制度の廃止、つまり四民平等になったとき、俸禄のかわりの一時金をうけとりそれを持って土地の権利を得たと夫は解釈しています。士農工商が廃止されても、旧武士は二次大戦がおわるまで士族という身分になり、亡くなった義父も現山梨大学(山梨工業専門学校かな)の卒業証書には

 

士族

 

という明記がありました。平民出身としては結構驚きです!びっくりしました!

士族でさえこんなですから、華族とかどんな秘密があるんだろう?ってちょっと思いますね。

 

しかし、農地開放のときにかなり小さくなった。らしいです。ちなみにまだ残っていて税金がかかっている土地があるんですがその一つにかなり離れた川の周りで人に無償で貸してお米を作っている土地があります。その土地までだとしたら、強烈に広いです。まあ田舎ですけどね。

 

なので、この本家、ボロ屋敷を潰したくないのは、私的にはこのあたりの歴史みたいなものを失いたくないなあ。てな思いもあります。私にしたらもう日本史の世界ですもん。日本史を学ぶとき、こういうのが実際に学ぶことの面白さにもなると思うので💦

ちなみに我が家は、父方は海賊であった可能性が高いです。笑。村上水軍ですね。母方は近江商人です。お墓が残っていると色々面白いですね。

また夫の母方、つまり亡くなった義母の家は、結構面白い経歴です。それもお葬式のとき夫さんの叔父さまからお話しいただきました。いや面白いなんていっては失礼なんですが、講談の世界なんですよ。

そんなかんなでいろんな歴史を感じながら、なんまんだーなんまんだー。

 

ご近所さんが帰られてから、夫さんに電話したんですが、やはり諸事情あり、本家に住まないといけないね。という話になりました。今は夫さんの仕事場が名古屋で、夜遅く朝早いという日があり駅から奥まったこの本家からは通うのが大変ということで駅前にマンションを買ったわけですが、

いよいよ本家を暮せるようにしなければなりません。洗濯機ももう一年使ってません。台所の洗い場もお風呂もしかり。

水ぎわはプロの手を借りて綺麗にしてもらいましょうかね。

要らないものは捨てて、一人暮らしができるように。

 

どうも私たち夫婦は別居夫婦みたいですね。これまでの3年間だけが2人だけののんびりした時間であったと。

 

浄土真宗は死ぬと即、仏さんになるので本来は魂が四十九日彷徨うといったことはないので、四十九日法要もいらないはずなんですが、そこは従来の仏教との妥協と思われると夫さんの解釈なんですが、一応四十九日法要があります。このとき夫さんの弟さん、下の弟さんのお嫁ちゃまがいらっしゃるかもしれないのと、一応そのときまでは家をいじるのはやめようということにして、お掃除や物の片付けをしていくのみに、しばらくはします。

 

その他にもやるべきことがたくさんあるので、庭関係は一年後とし、母屋の網戸、サッシの取り付けをリフォームの最優先とし、残りのリフォームも一年後をめどにしていく。ただし、夫さんが住むに当たっては、便利がよいようにできるだけのことをする。

 

ということになりました。夫さん、これからも頑張りましょう!