ピーターパンの何でも日記 Part2

家族と友人に近況を伝える日記

雨の東名阪と名阪国道

昨日は昼に自宅を出発。大阪実家に向かいます。

最近は高速道路を使わないようにしています。もちろん高速代節約もありますが、高速道路ばかりだと飽きてしまうというのも理由です。60歳すぎてもまだ新しい発見を道路に求めてしまうようです。とくに国道はなんとなく好きです。最近はそれこそ歳をとったのか、国道1号線の旅など、とにかくひたすら一本が楽しいかな。笑

 

大阪には奈良経由でいきますが、長いトンネルが嫌いなのでやはり国道163号ですね。この国道は大阪から奈良、今日木津川、伊賀と通り三重の津まで。この間私が好むのは奈良から大阪まで。ここは生駒の山越えがスムーズなのです。トンネルが短い分、ある程度は登ったり下りたりはありますが。。

でも木津川沿いは実はきらいです。木津川はかなりやばい川で、今日のように雨が激しいときは危険です。すごい崖があるんですね。調べていませんが風情は和歌山の紀ノ川みたいです。名阪国道にくらべるとやはり信号が多い。安定した速度ではしれないのはイライラします。さらに、原付も案外いてね。以前事故があったみたいですが、それ理解できます。

昨日は桑名から鈴鹿、亀山までは大雨でした。とにかくすごい雨の上走っているので、ワイパー全開でも前が雨で見えなくなるという。。。危険な状態でした。亀山あたりは雨が多いですね。ところが名阪国道に入ったらカラッとはれていて、せっかく雨で気温が下がっていたのにまた酷暑に戻ってしまいました。

 

名阪国道国道を天理で降りて、今度は国道23号経由で国道163号に。木津川越して奈良に入って大阪に突き抜けるまでは平坦なところが多いのですが、最近は立体交差の工事箇所が多いので、昨日も少し渋滞したりしてました。

 

163号は大阪の門真までで、さらに府道2号に入って一本です。

桑名からは少し南に下がって遠回りですが、13時出発、17時前に目的の歯医者さんに無事つきました。渋滞回避は色々頭で考えてますが、大阪ではまったらちょっとやばくてそのときは高速道路、近畿道あるいは中国道にのらないといけないのですが、それもなくて良かった。せっかく節約しているのですからね💦

 

これがお仕事している人ならタイムイズマネーで高速道路使うでしょう。でもそこは専業主婦。こんな努力もあっていいかなと。夫さんは高速道路使ったら?といってくれますが。

 

大阪も実家があるうちは通うと思いますが、もし母が亡くなって売却してしまうとほとんどこないと思います。私はここ大阪で育ちましたし、環境もすごくいいのですが、正直歴史が浅いところなので執着がないのです。その点桑名は歴史ある街で、なんだかほっとするのです。今治とか松山も好きです。郷土愛が持てるところは理由があると思います。観光客が駅前でうろうろしているのを見るとそれもなんだかワクワクします。旧東海道沿いの街であることも好きな理由のひとつです。昔、中学生のとき、社会が得意だったのですが、江戸五街道というのを知った時、すごいなあと思ってました。そして大学で東京に住んだとき、中山道(国道17号)が近くにあったのと、大学が甲州街道(国道20号)の近くだったので、とても感激したのです。それが私の道路好きの原点かな。まあ他にも道路を覚えるのが好き、地図を見るのが好き。みたいなものもあるかも。学生のときは一度行ったところ、道順は忘れない人だったので。千葉にいるときもタクシーさんがショートカットしそうなのがわかるとついて走ったりしてました。

 

初代の車はCORONAハッチバックでした。10万キロぐらいは走ったかな。このころは夫さんのアッシーくん全開で。はじめてのマイカーだったのですごく楽しかったです。それからジャカルタに駐在になったので、夫さんの親戚にあげてしまいました。すぐに処分されたようですが。。ジャカルタにいく前に、引っ越し荷物をぎゅうぎゅうに詰めて、徹夜二日ほどして父と息子2人を乗せて大阪実家に戻ったのですがフラフラで海老名で寝ていい?と父にお願いしたのを覚えてます。父もあのときは精一杯引っ越しの手伝いをしてくれて、息子も可愛がってくれてね。ありがたかったです。1996年だったかな。真冬の一月末で、大阪に移動した翌日千葉は大雪で💦 2週間ぐらい大阪にいて、その間に桑名にもいって。そのときは新名神高速道路もなかったので、桑名にいくときは名神高速関ヶ原か大垣で降りて一般道。このときも桑名についたら雪で。車はこのときに置いていったので、帰りは大阪まで義父といっしょに電車にのって。。あまり仲良くはなかった義父でしたが、今考えたら精一杯のことはしてくださっていたなあ。

 

ジャカルタは着いたら着いたで、80年に一度の大雨になり、翌日は空港からの道が通行止めになり、これもまた難を逃れたのです。でもそのときにすごい大雨と雷が駐在初日だったので、印象悪かったです。はい。

 

と、色々と思い出したりしますが1996年は長男は幼稚園年長で小学校に入る歳、次男はまだ一歳半なのでした。不思議なんですが、次男がうまれて、引っ越しのときは大変でしたがあまり子育てで大変だったという覚えがないんですね。それは一番てのかかるこの時期の2年間、ジャカルタでメイドがいたということも理由の一つだったかな。でも日本にいるときも、子育てでしんどいと思った記憶がなくて。。私にとって小さい子供のときは楽しさばかりだった。思春期のころがたいへんだったから、きっと余計にあの頃はよかったなんて気持ちになってるのかなあ。

 

ちょっとだいぶ話はそれましたが、そのジャカルタ生活、本当は5年の約束でしたが、政権交代のときの混乱があり、2年で本帰国。長男は小学3年生、次男は幼稚園年少さんの歳。

ここから三年後のヨルダン駐在までは車は中古で買ったVista。セダンでした。この期間は父が山の家によく通ったので、しょっちゅう茅野の別荘に行ってました。亡くなったNちゃんやiさん子供たちともいきました。懐かしいし、楽しかった!ひたすら!

この車も10万キロぐらいは乗ったかな。まだナビとかは無かったなあ。地図頼りで動いてました。

そして2001年に駐在、長男小学校6年生、次男小学校一年生の夏休み前です。

駐在してすぐに911があったりしてバーレーンに退避なんてこともありました。

2005年3月に本帰国。長男高校入試のときで無事希望校に合格。次男は小学校五年生。車はノアです。子供たちに飛行機のエコノミー疲れを感じさせていたので、ノアをフルフラットに倒して、きれいにしておいて、成田でお初見。ほら、ビジネスクラスみたいでいいでしよ?みたいなね。笑

あのときは、12月に私だけが一時帰国して千葉の家を整えて、車を購入したりしました。風呂釜が壊れてお風呂に入れず、なんにもなかったので風呂にも行けずで、真冬のまさかの水シャワーなんて今考えると恐怖体験みたいなことしてましたね。笑

 

2月に子供をお迎えするのにヨルダンに戻ったのですが、それから一か月でまた引っ越しの用意して、そして三月に本帰国。子供2人連れて。いつも駐在のときも本帰国のときも夫は一緒ではないのです。はい。民間の駐在とはそういうものです。

 

ノアは最終的には天板?がはげてきてしまうという悲しい状態になったのでレガシィを2011年に購入しました。このときは東日本大震災があったので、車の納期がひどく遅れたのと、マレーシアだったかな?(タイでした💦タイ駐在してた友人が教えてくれました。)ひどい水害があり、カーナビの納入が車の納入の2ヶ月後になってしまった。など色々ありました。もうこの年からも11年が過ぎたのですね。

ジャカルタ駐在は30歳代、ヨルダン駐在は40歳代とまだまだお若い私なのでした💦

 

あれから幾星霜。レガシィはすでに25万キロ超えていて、いつ使えなくなるかドキドキしてますが、海外では80万キロこしても使えているという謎情報を信じてまだまだ活躍期待してます。ほんと走りは調子よいですよー。

 

本当は週末に福井あたりに夫さんと行きたかったのですが、今週末は桑名の石取祭があるので、延期としました💦 石取祭は、日本一やかましいといわれる鉦(かね)や太鼓の練習音も聴こえてこないので、きっと踊ったりはないのかな?夜店などもないみたいなので山車をだして引くだけの静かなお祭りになるのかな?

 

長くなりましたが、明日無事に歯医者おわったら、奈良で書類のやりとりを妹として帰宅します、