桑名の観光名所の六華苑に行ってきました。
この六華苑は、明治時代の桑名の豪商、諸戸清六(もろとセイロク)氏の豪邸です。以前レストランには一度行ったことがあったのですが、かなり傷んでいたので、ここ大丈夫かなあ。と思ってしまっていました。
ところが何年か前に工事が入り、それが終わってからの再訪でした。
総括すると
すごーく良かったです。
建物、庭も素晴らしい上に、無料でガイドさんが入ってくださるのです。
しかもその方、話がとっても上手な上に、元下級武士で、夫の祖先と同じようなレベルだったのです。無論夫さんとの話も盛り上がり!1時間コースでお願いするも、3時間コースになってしまうほど、各所で盛り上がりました。
やはりこういう場面になると夫さんは博識だなあとつくづく思います。ほんと。
六華苑は、鹿鳴館を設計した有名な建築家ジョサイア・コンドルの設計で、四階建ての尖塔がついている洋館と、財を凝らした和館、それから外側にちゃんと覆いの建物がある分厚い壁の蔵、その中でも特に大きな米蔵などを見て回りました。素晴らしかったです。
塔は、設計では3階建てですが、諸戸氏が、木曽三川に植えた10000本の桜を見たいということで、4階建てに変更されたということです。
そうです。この六華苑は、木曽三川のうちの揖斐長良川側のすぐそばに建っています。今は、堤防が二重になっているので(古い堤防と最新の堤防)、輪中地帯のこの辺りは、川よりも周りの土地が低く、建物も三階ぐらいですと桜並木は見にくかったらしい。植えたてだからまだ低木だったのでしょうかね。。
まあ、そんなかんなで盛り上がったのですが、すっかり時間が経っていたので、同じ敷地内のレストランにいって、大きな炭カレーを食べることにしました。
レストラン内もすっかりリフォームされていて綺麗になっていました。
私はカレーがだめなので、スパゲティにしました。美味しかったです。また来たいです!
炭カレー
私の頼んだスパゲッティの前菜
3人で食べたゴマのモンブラン。中にはわらび餅が入ってました。
本当は午前中に桑名見学を終えて、犬山の明治村に行くつもりでしたが、六華苑の本物の古い洋館をみ、地元の思いのこもったガイドもしていただいたので、満腹状態になってしまったので、
今日は桑名だけにしようということになり、私は車を移動、夫さんとIさんは七里の渡しまで歩いていってもらい、その説明をしてもらうことに。
その七里の渡しで合流して、木曽三川改修工事のことが書いてある看板などで、夫さんからIさんに説明してもらい、唯一桑名城址のあととして復元された蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)を見に行きました。
http://moromoro.my.coocan.jp/2009_H21/banryuuyagura.html
中に入るとなんとガイドのおばさまがいらっしゃいました。
ここは、ひとつだけ再建されたのですが、ガイドのおばさまによると、十数個あったそうです。
ヤグラに龍の名前がついているのは、実際に屋根の飾り瓦としてついているのが龍で、それが展示してありました。
ガイドさんが色々話してくださいましたが、その中で気になったのは
薩摩のかたは、木曽川の改修工事で苦労したので、桑名に恨みをもっているらしい
と発言したことです。
あとで聞いたのですが、これには夫さんがかなり抵抗しており、途中でさっさと外に一人で行ってしまいました。聞いたら、
人から聞いたことかもしれないが、なんの根拠も調べたことでもないようなのに、勝手な判断をして、それを見学に来た人にいいふれまわっていることに憤慨した。
とのこと。まあ、桑名人としてそのように思うことは理解します。夫は長州への恨みはあっても、薩摩は改修工事で借りがあると言ってリスペクトしてきていたので。それはこれまで日記に書いた通りですが。
そのまたあとにその話を二人でしたのですが、でもひょっとすると自分の知っている薩摩出身の友人は、自分に言わないだけでそういう気持ちもひょっとしてあるのかもしれないから、それは確かめてみるわ。
てなことでした。
ちなみに桑名市には、薩摩義士の霊廟があるのですが、岐阜県にもあります。
この岐阜県、美濃側からの視点の宝暦治水についての記事がありました。
https://vivian-hiroshia.ssl-lolipop.jp/archives/2706
私も三重県初心者で、三重県だけでなく、東海地方初心者としては、美濃、三河の確執など、わからないことがたくさんありますが、こちらの記事にある
美濃からの 成り上がりの三河もん
への批判は根強いのかもしれませんね。
岐阜県と鹿児島県は宝暦治水工事を通じて災害時の相互の協力などあるみたいですので、桑名と同じく、岐阜県側も薩摩へのリスペクトはまだまだ残っているようです。
----
松平定重転封当時の城廓引渡帳には「櫓数51(三重櫓3、二重櫓24、附櫓24)多門12、門46(内舟入門1、埋門2) 井戸14、水門3、武具蔵9」と記されている。
-----
と書かれているので、すごい数があったのですね。
と、実はこの日記、翌日分までぎっしり書いたのですが、何故か途中から消えてしまいまた書き直しております。。。うっく。。しかしちょっと心が折れたので、また続きはあとで書きます!