ピーターパンの何でも日記 Part2

家族と友人に近況を伝える日記

歯医者さん

大阪です。

もうすでに何年も通っていますね。お気に入りの歯医者さんで、定期的な歯のメンテナンスです。

いつもながら綺麗にしていただきました。歯垢を取るのも最新のパウダークリーニングで、とてもやさしいです。年寄りには優しさがいちばん。特に歯医者さんは。

このメンテナンスだけで行く分には気が楽なんですが、とうとう次回は、親知らずの周りが炎症起こしてそろそろやばいかもしれないということで、抜くことになりました。

そうなると、糖尿の病院と同じで気が重くなってしまいます💦

来年の2月末にその日はやってきます。当日1時間前に飲んでおいてくださいという抗生物質をいただいたのを忘れないようにしないと!ですが、しばらくは歯を抜かれるということは、考えないでおこう!

 

雨が降ってきました。私の心も曇りがちです☔️

 

昨日トイレでみつけた蜘蛛はどうもアシダカグモのようです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%80%E3%82%AB%E3%82%B0%E3%83%A2

あ、蜘蛛が苦手な方は見ない方がいいです。

毒はなく、こちらが襲ったらかみつくことはあるそうですが痛いだけとのこと。どちらかと言えばゴキブリなどを食べてくれる益虫だそうですが、すでに窓の外に追い出しております。しかしどこから入ったのか。それが気になります。

 

蜘蛛のことで、いつも夫さんがしてくれる思い出話があります。

それは、本家では蜘蛛が蜘蛛の巣を張るのは当たり前で、蚊やハエなどを取ってくれる益虫として活躍していたそうです。なので、小学校の授業のときに家の中の絵を描いたとき、蜘蛛の巣を描いたそうなのですが、それが他の家に知られたのが恥ずかしかったのか、母親に叱られた。というもの。義母らしいです。

 

私も蜘蛛ではありませんが、似たようなことがあります。

それは作文です。わたしは学がないので作文といえば家庭内のことを暴露です💦

その中で最も強烈なのは

 

父をガスタンク

母を豆タンク

 

と、オナラの話から命名をした話です💦

 

あと、母が私に

 

ウドの大木

 

と悪口を言ったことを、悲哀の作文として書きました。が、これは後日、朝礼で朝礼台で全校生徒の前で読まされて非常に恥ずかしかったです。小学校3年のときです。担任の先生も酷なことするなよなあ。。勘弁してくれよ。。。という思い出ですね。。

 

もう一つは、これは作文ではなく母から聞いた話です。

ある日母が小学校のPTAで行くと、体育館で校長先生のお話があったそうです。それを聞きながら母は

 

我が家とよく似た家があるものだなあ。

 

と思っていたそうです。母が父よりも年上だとかいろんな話をしてくれて、ほんと子供って素直でかわいい的な話だったそうです。

で、万が一と思い、私が学校から帰ったら、

 

校長先生にこれこれこのような話をしたか?

 

と問いただしたら

 

 

私 「した!」

 

と。あちゃー。といった母の顔を覚えています。私も校長先生ってそんな私の話をするんだと思ってました💦まあ、小学校の3年か四年ぐらいだったと思います。当時の校長先生は、とても優しくって、私にも

 

校長室の前を、まず、君が通って、次にまた同じ顔の人(妹)がすぐに通ったからとてもびっくりした。みたいな話をしてくれたりしました。双子だと気がつかなかったそうで💦

そういえばわたしは校長室に出入りしてました💦平井校長先生だったかなあ。優しかったな。

 

思い出話がどんどんでてくるのですが、わたしは大学から東京に、一人暮らしの父と同居していたのですが、休みになると、大阪の実家に戻りよく妹と京都で遊んだりしてました。遊ぶといってもブラブラと歩くだけですが。。

 

で、ある夜、阪急の石橋駅で下車して、

乗り換えようとしたら、酔っ払いの二人のちっちゃいおじさんが、ものすごくご機嫌さんで、肩組んで千鳥足で歩いてたんです.嬉しそうに何か話しながら.

で、何気にその片方のおじさんをみたとき、あれ?もしかして、もしかして、(小学校5.6年の担任だった)中島先生?先生ですかー?!

って話しかけたら、先生も気がついて

 

あー。申し訳ないねー。こんな姿でねー。実は教頭先生になったんだよ。嬉しくってねー。

 

って、ぐでんぐでんにふたりのちっちゃいおじさんは、倒れそうになりながら去っていったのですよ。

 

あのシーンは今でもときどき思い出します。すごく嬉しかったんだなあー。って。

 

ということで、最近昔のことをよく思い出すので書いています。もう寿命なのかもしれませんねえ。