ピーターパンの何でも日記 Part2

家族と友人に近況を伝える日記

本家と農協さん行きました

今日は、工務店さんの現場監督さんが質問があるとのことで、本家にいってきました。

工事は年末年始からさらに進んでいたした。もう玄関のあらかたの新しい姿が現れてきています。そろそろ照明器具も発注しようかな?

監督さん(女性)からは、数点の確認事項、お花台は奥行きどれぐらいにしましょうか?とか、玄関の上り框の幅はどれぐらいにしますか?とか。まあそんなところです。

怒涛のスピードで仕上がりそうなので、次の工事箇所、母屋の納戸にするところもじきにすっからかんの空にしておかないといけないというのがわかりました。焦ります。夫さんと今週末にもまた整理しにこよう。ということに。さらに職人さんには、納戸部屋をどのようにするか?という相談も。まあそんなにいじらなくてもよいとのことでしたし、改めて部屋を見てみると結構丈夫な筋交もはいっているので、床下と床の補強ですね。上からポロポロと土壁の土などが落ちてくるので、とにかくそのまま置いておくとなにもかもが埃だらけになるので、この部屋に物を置くようになりますが、綺麗に梱包してから入れないといけませんね。

 

ついでに監督さんに、二階を見てもらいました。監督さんからは

 

この広いお部屋は使わないとなんだかもったいないですねえ。

 

と言われました。かなりの荷物があるのですが、ここは重いものも結構置いてあるので、納戸が修復されたら荷物は一階に移す予定です。

年末年始、おまごちゃんがきたとき、やはり気に入ったみたいで、上に行くぅー!と泣かれたりしました、ここは階段が梯子のごつい感じで、ほんと古民家らしい箇所。我が家の長男、次男も小さいころ上がるのが好きでした💦

私は床が落ちそうなのでこわいのでいけないのですが、一部床も補強していただいてるのです。土壁が何故か盛り上がっている部分があるのでそこはなんとかしていただくことになりました。

 

見積もりまた新しいのを出していただけるみたいです。さてはていくらになるのかなあ。

 

それから少し掃除をして、チェキで段ボールの中身の写真をとって貼り付けたりしました。

 

その後、今度は地震保険、火災保険のために農協さんに。

じつはここ、これらの保険2社にお願いしているのです。農協さんと、農協さんの傘下?の農災さん? 

なので、建物、3棟プラス書庫のどこになにが掛かっているというのを、夫さんが一度聞いているので、二人で再確認して決めようということに。

 

とにかく母屋と旧義母ハウスは地震で倒れても立て直すときにある程度お金が出るように。です。火災保険は義母がきにしていたのです。まあ無いと大変なことになると思いますが。

 

まとめると

補償額は建物に対して大体の価値が決まっているので、それに基づいて保険額を決めました。総合保険の掛け捨てではないタイプなので、満期ごとに50万(現在)おりますが、それは保険更新の際の一括入金としておいておけば月々少し楽になりとのこと。

農協とノーサイの保険を農協さんのもので合体することに。年額は結構いって、23万円ぐらいだったかな?

 

注意事項としては、

地震保険は国で定められたカバー率が損害に対して50パーセントで免責が5パーセントなので、50万位上ぐらいかららしい。部分損害でもちゃんとでるところはさすが農協さん。

総合保険なので、火災は100パーセント。家財もつければそれも100パーセントでるので、地震保険のカバーになります。と。

災害については台風、大雪などにも対応。今回、母屋玄関の横の窓が割れていたときも補償がでましたので、逐次報告するのがよいかもね。

 

ということで、結構出費しますが、南海トラフ待ったなし!なので地震後に泣くよりはよいと思います。大阪の家にも地震保険かけていますからね。

 

保険は来週中に契約することになりました。

 

それからスーパーに夕飯の買い足しにいって、二人のマイブームの鍋をしました!温まるからやはり冬は鍋!ですね❤️食後、ドラマを見てたら酔っ払いの夫さんは早々に居眠りで首が折れてました💦私もそのうち眠くなって、居眠りしました。老人のいつもの光景です💦  

 

昔のNHKの朝ドラ、今は

 

本日は晴天なり

 

を見ています。今は、ご主人の故郷の島根に、ご主人の父親の看病のために手伝いに帰るというあたりなのですが、義父母が心遣いがすばらしく、ついつい夫の義父母と比べてしまったりしています💦 全般的に、みなさん、優等生な嫁、舅、姑、そして夫だね!と言いながら話してます。

 

このドラマは、世相をきちんと表現しているのも楽しいです。

たとえば言葉でも

 

最高!最低!

 

という言葉はこのころに流行ったとか説明していて、これはびっくりでした。何気に使っていたので。昭和30年前半ですかね。夫さんが昭和34年生まれ、私は昭和36年生まれなので、主人公夫婦の子供より少し下の世代になりますが。

最後の方で、主人公の夫が建設会社に入るというところも、戦後、神武以来の好景気が訪れて、東京のビル群や周辺のダム建てにいく!みたいな感じは、父が東名高速道路をつくっていた時代にも重なります。霞が関ビルの話をしていたのも思い出しました。今は低く見えますが当時は素晴らしい高層ビルってね。

あと、やはり明治生まれの女は強い!とか、昔母がよく言っていた言葉もポンポンでてきます。嫁はこうじゃないと!みたいな発言もありますが、確かに納得できる部分も多く、最近の性差に対してのあまりに自由な考え方にややついていけない私たちにとってはある意味痛快なところもあります。土台に、お互いを尊重できる精神があればよい関係は築けるものだなと。つくづく思います。

 

なぜか昨日から刺繍以外に、油絵かカリグラフィーをやってみたくなりました。カリグラフィーは名古屋まで通わないといけないのがちょっと💦なのですが。。。